主催者の肥田舜太郎しらさぎ会会長より「戦後64年目の夏が巡ってきました。私達は、二度と被爆者を作らせないために、核兵器の廃絶と国の戦争責任に基づく被爆者援護法を求めて活動してきました。被爆者の病気の原因を原爆放射線と認めない国に対し、三百余人の高齢被爆者が訴訟で争い、前後18回の地方裁判所・高等裁判所で勝利判決を得ましたが、国は未だに争う姿勢を崩していません。一方世界の世論は、核兵器廃絶の方向に舵をきったように思えます。私達は、広範な国民とともに二度と被爆者を作らせぬ世界平和実現のために力をつくします」と、慰霊の言葉がありました。
次に、来賓として、埼玉県保健医療部疾病対策課の浜田副課長、原水爆禁止埼玉県協議会、埼玉県平和運動センター、埼玉県生活協同組合連合会、埼玉県地域婦人会連合会、日森ふみひろ前衆議院議員、田中良生前衆議院議員代理、武正公一前衆議院議員代理、古川俊治参議院議員代理からあいさつがありました。また、県議会議員5人にご臨席いただきました。 埼玉県生協連の伊藤会長は「4月のオバマ米大統領の呼びかけが契機となり、今、世界で核兵器の廃絶を求める声が日増しに高まっています。世界の世論と運動が核兵器廃絶の決定的な力になります。今日の核兵器廃絶の大きなうねりを作り出してきた本当の力は、日本の被爆者団体・平和団体・平和市長会等の核兵器廃絶を願う世界の人々の運動であったと言えます。そして、その真ん中に、世界各地で原爆展を開催し、被爆体験を語り続けてきた日本の被爆者団体・平和団体があったと確信しています。埼玉の生協は、核兵器廃絶の運動をさらに大きく広げていくために、多くのみなさんと協同して、最大限の取り組みをすすめることを表明します」とあいさつしました。
代表して肥田会長が献花を行い、続いて参加者が花と折り鶴を献花台に供えました。遺族代表のあいさつ、若い世代からの平和の願いのアピール、被爆体験聞き書き行動実行委員会による(埼玉在住の被爆者の体験)朗読、そして参加者全員で「原爆を許すまじ」を斉唱しました。
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